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少し前に、東京ステーションギャラリーで開催中の、鴨居玲さんの「踊り候え」を観に行ってきました。
初めて観る鴨居玲。

初期の作品は色合いがすてき。
「鳥」という作品なんか特に。
鴨居さんの絵の中の月はなぜかいつもまんまる満月。

満月というと藤原道長が歌っているように、満ち足りているイメージがある。
逆に言えば、もうこれ以上は満ちないから欠けて行くだけという考えもあるけれど
若い頃の鴨居玲は、作品作りに、表現することに、心が満ちていたのかもしれないと
まんまるの月を観て思った。

観て進んでいくうちに、上手く言葉には出来ないのだけどとにかくこれは虜になる人が多かろうというのを無意識で感じる。
身を前へ傾けて見入ってしまう。
ご本人が人をとても惹きつける人だったんだろう。
絵が本人なのだ。

描いているテーマが人ばかりなことに関して「興味があるのは人間だけですからね」と返した言葉が書かれている。人のいろいろなものを描きたかったのだという。
私も写真で人ばかり撮っているのはやっぱり人に興味があって撮りたいからで、とても、わかる。
「どれも、鴨居本人だ」という解説の文章が、とても分かる。
写真にはこわいくらい自分が写る。無意識に自分を撮っている。
絵も、少なくとも鴨居玲の絵はそうなのだろう。

「おかあちゃん」という絵の、息子の顔がいい。
酔っ払って踊る人もいい。

後半、真っ白なカンヴァスを前にして振り返る、戸惑い顔のような、作家本人を描いた絵がある。
「1982年 私」。
これを観た時、描けない作家の絶望感を思う人もいると思うけれど
「今はもう描けないんですよ。」というこんなものさえも絵にして描きたい鴨居玲の、表現したい気持ち、描きたい気持ちに驚いてしまった。
絶望するのはそれが好きだから。
どうでも良いものだったら出来なくても絶望なんてしない。
描けない絶望さえも描き、苦悩して空っぽになってしまうのは、描きたい、表現したいという気持ちが熱く熱く根底を流れているからではないのかな、と思いました。
それで自殺してしまうなんて、本当に絵の虜になった純粋な男の人なのではないかと思いました。

この人を知るために少なくとももう一回くらい観に行きたいので
今回は図録は買わず。
行けたらもう一度行ってみたいです。

DSC_0441のコピー

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